January 29, 2011

(Source: expo7000)

January 14, 2011
要約: 背水の陣 という言葉は「退路を切って必死に戦う」という意味ではない。実際には「天才は常識を逆手にとることが出来る」というような意味なので、天才でない限り真似をしてはいけない。
背水の陣、という言葉がある。水を背にして戦うことで、退路を無くした兵士に必死に戦わせる、という意味であり、転じて、必死になるために逃げ道を潰すというような意味で一般に使われている。ところでこの言葉は漢王朝創業の功臣であるところの韓信が井陘で趙軍と戦った際に実際に川を背にして戦った故事がもとになっている。
当時の軍学では、川を背にして戦うことは、退路を断つということだから、万が一負けた時に大変なことになるので、これはやってはいけない、とされていた。韓信はその軍学に反する行ないをした訳だが、韓信というのは軍事の天才であって「兵士に必死で戦わせる」などという目的でこういうことをした訳ではない。
ところで当時韓信は川から少し進んだところにある趙の城を奪取することを目的としていた。しかし様々な事情から兵力は少なく、それを行なうことは不可能に近い状態であった。そこで韓信は自身が率いている本隊が趙の大軍を引き付けておく間に別働隊に趙の城を奇襲させるという作戦を立てた。
韓信は別働隊を進発させると、自身の率いる本隊は川を背にして布陣させた。この場合、別働隊が敵城を速やかに落すことが期待されるから、本隊はあまり長時間戦わなくてよい。また本隊は敵軍に比べて兵力に劣るから包囲される危険性が高いが、川を背にすることで少なくとも後ろから攻撃を受けるということはなくなる。川を背にするのは実に合理的な判断だろう。それからついでに兵士は必死に戦うに違いない。さらに「川を背にするなどなんとアホな指揮官であろうか」という風に趙軍の指揮官は油断するだろう。
果して韓信の本隊は別働隊が趙の城を落すまで趙軍の攻撃に耐えることが出来た。本城を落された趙軍は潰走してしまった。
この事から分かるように、韓信は「必死になる為」に「退路を切った」訳ではない。その意図も少しはあったであろうが、それがメインであったという訳では、ない。無論別働隊の奇襲が失敗する恐れはあり、その場合は韓信の軍は全滅していたであろうから、賭けではある。しかし、退路を切って必死になればなんとかなる、というような安い賭けではない。
天才は、このように常識を逆手にとり、あるいは常識を自らの理論で上回り、活路を拓くことが出来る。これが本来の「背水の陣」の意味であると思う。自らを天才であると自信をもって宣言出来ない限り、背水の陣を取るべきではないと思う。
January 23, 2010
August 26, 2009
押尾 と お塩 の違いを教えて下さい。
 
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/25(火) 06:15:03.85 ID:JpVHs7Ai0
  お願いします
 
 
3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/08/25(火) 06:16:06.32 ID:Z4zXPUx0O
  しょっぱいのが押尾
July 16, 2009
「マスコミの皆さんには絶対、毒を吐かないようにしてるんです。猿岩石の時は“やらせ”報道で散々やられましたからね。皆さんは本当にいいご身分ですね」
July 6, 2009